大津市堅田で整体なら「ポキポキ堂®」へ

 

健康元気に過ごせる文化問診
創造する

Best Performance for You!!!

名前 田中教尋(一洋)
たなかかづひろ

資格取得歴 

  • 厚生労働省認定 柔道整復師
  • National strength&conditioning association
    (全米ストレングス&コンディショニング協会)
    認定パーソナルトレーナー(NSCA-CPT)
  • 健康・体力づくり事業財団認定 健康運動実践指導者
  • モチベーションアカデミー認定 フィットネスモチベータ―
  • モチベーションアカデミー認定 ジュニアティーチャー(認定講師)
  • フィジカルトレーナー協会認定 フィジカルトレーナー
  • DYMOCO認定 C級フットケアトレーナー
  • ジャパンストレスクリア・プロフェッショナル協会認定 ストレスクリア®︎トレーナー

 

業界歴

  • トレーナー歴 18年 
  • セラピスト歴 15年
  • のべ6万人の施術、セッションをおこなう。

 

趣味・特技

  • スノーボード
  • モノマネ(オーディション経験あり)

 

ポキポキ堂®の理念

健康元気に過ごせる文化を創造する
Best Performance for YOU!!!

001

「ほら見ろ、言わんこっちゃない。ドアホ!」

亡くなった父の声が耳元で聞こえるようだった。
間違いなく、絶対に間違いなく、いまこの場に父がいたらそう言ったはずだ。

ここはラーメン屋。

今日の結果を受けてさぞかし落ち込んでいるであろう田中を、先輩が誘って連れて来てくれた店だ。そんな優しい先輩も、いざこの状況にある田中を目の前にしてかける言葉が見つからないようで、黙ってラーメンをすすっている。

田中も、気まずさを感じながらラーメンを食べるしかなかった。

「・・この先、どうすんねや」

先輩のつぶやきのような問いにも、何も答えられない。

この先どうするんだろう…

23年間、たった一つ思い描いて来た「競輪で生きていく」という道が完全に閉ざされてしまった今、自分はどうしたらいいんだろうか。

当たり前のように追いかけた夢

田中の父は競輪選手だった。
だから、田中は幼い頃から自転車を触っていたし、周りに競輪のプロが常にいる環境で育ってきた。

父が見せてくれたのは、選手として練習に打ち込む姿だけではない。

競輪選手として成功すると、どれほどの報酬がもらえるか。実際、やりたいと言ったことは何でもやらせてもらえ、何不自由ない子供時代を送った田中も、自分の置かれている環境は父の職業と能力のお陰なのだということを感じていた。

「ここまで家族にいい思いをさせてくれる父はすごい」

自分も、こうならなくちゃ。

「自分も将来、きっと競輪選手になって父のようになろう」

そう考えるのは自然なことだった。

今考えると、僕の一番の幸運は「父がいたこと」だったかもしれません。

だって、家の中にプロのスポーツ選手がいるなんていう環境、誰にでも得られるものではありませんから。
父の毎日の過ごし方、トレーニングのやり方、考え方。そしてストイックさや真面目さを、子供の頃から間近で見ていたことは、間違いなく今の私の仕事に大いに役立っていますし、なければならないものだと思っています。

17歳から競輪を始め、高校卒業とともに本格的に選手としてのトレーニングを始めた。

予想外の挫折

競輪選手は、日本競輪学校に入学して、特別タイトルやG1(競輪グランプリ)、オリンピックなどを目標として励むが、ただそれだけを目指すのではなく、様々なレースに出て経験を積み、同時に賞金を稼ぎながら実力を身に付けていく。

田中のアマチュア選手生活は上々の滑り出しだった。
初めてのレース、国体予選で3位になったのだ。

「俺はもしかしたら天才かもしれない」
若い田中は自分の未来が明るいことを感じ取った。

ヘタに成功するもんじゃないですね(笑)。国体予選で3位になってすっかりその気になってしまいましたから。今思うと、むしろ大失敗してくれた方がその後良かったかもしれませんね。

競輪学校の入学試験は、春と秋の年2回行われる。
年齢制限があり、高校卒業後3年しか受けることができないので、通常は春も秋も積極的に受験する人が多いのだが、マイペースな田中は、秋の試験に絞って、その直前に集中的にトレーニングをするという方法で臨んでいた。

その時、父は病気のため既に他界していた。

もし父が元気だったら、そんな田中のマイペースぶりを一喝し、もっと練習に励むよう口うるさく言ってくれたかもしれない。
自信とは裏腹に、1年目、2年目の試験とも、1kmタイムトライアルで指定のタイムを切ることができず、不合格となった。

背水の陣となった3年目。

結果は、不合格だった。

「ドアホ!」「ほら言わんこっちゃない」、親父がいたらそう言ったでしょうね、間違いなく。もっと真剣にやっとればよかったのにって。きっと親父がいたらこう言うだろうなって思ったってことは、自分の中にもそういう気持ちがあったってことだと思います。

3回目の試験は、本当にもうあと0.3秒くらいだったんですよ。それくらいの差で泣く人の多い世界だということは既に身に染みてわかっていましたが、やはりそれでも、相当悔しかったですね。あともう少し、どうして頑張れなかったんだろうって。

 もう、放心状態でしたね。23年間、競輪だけを見据えてやってきましたから。競輪学校に入ってプロになれなかったらどうするか、なんて考えたこともなかったから。

目を覚まさせてくれた恋人の言葉

父は母と、田中が子供の頃に離婚している。そして父も亡くなった。

両親がおらず、ただ一つの目標も失ってしまった田中の今後の進路について、叔母を始めとする親戚が心配してあれこれと助言をくれた。
「お笑い芸人になってもいいかな」なんて、心にもないような、でも少し本気のようなことを言おうものなら、
「もう人生でギャンブルするのやめなさい」
と一蹴される。

親戚の薦めは、とにかく「自衛隊に入りなさい」だった。身体は強いし、公務員なのだし、そろそろ安定しなさいということなのだろう。

両親に代わって良くしてくれる叔母の気持ちはありがたかったし、言っていることはよくわかった。いつまでも落ちたショックを引きずって、ボーっとしているわけにはいかないことも、頭では理解している。

 

しかしそれでも、田中はなかなか立ち直ることができなかった。

 

そんな、抜け殻状態の田中を救ってくれたのは、当時付き合っていた女の子の言葉だった。

 

「今のあなたは好きじゃない」

 

競輪学校を目指してトレーニングをしていた頃から付き合っていた子でしたから、目標に向かって突き進む僕と、目標を失って呆けている僕を見ているわけですよ。そりゃ、後者に魅力は感じないでしょうね(笑)。

でもその子は心から心配して言ってくれたんです。泣きながら、「一生懸命練習していた時はすごく輝いてたのに」って。

 

彼女の言葉に田中は、頭を殴られるような衝撃を受けた。

 

一言も言い返すことができない。

 

 

「このままじゃダメだ」

 

 

いい子でしたね。その後しばらくしてお別れしてしまいましたけど、人生の転機に、その時の僕に一番必要な言葉をくれたので、今も心から感謝しています。あんなに心配してくれた人、他にいませんでしたから。

あのときに何も言わず、ただ呆れられて去られていただけだったら、今の僕はないと思います。

 

 

競輪選手でなければ、これしかない

 

次のステップへ進み出すべく、田中はある人の元を訪れた。

 

自分が選手時代にお世話になっていた接骨院の先生だ。

人格者で、父の代からお世話になっていたこともあり、何でも相談できる相手だった。

 

その先生に今の状況と、今後について悩んでいることを話すと、

「私のような治療家という道もあるよ」

と言う。

 

なるほど、いいかもしれない。

 

 

競輪選手は過酷な職業だ。一瞬で最大の力を発揮できる筋力と瞬発力、そしてレースを勝ち抜く持久力が求められるだけでなく、少しでも気を抜くと大怪我を追うリスクを常に背負っている。

田中の父は比較的息の長い選手だったが、体がもたなくて選手として活躍できなくなった人も数えきれないほどいる世界だ。

 

田中自身も、選手時代は何度もギックリ腰を発症したし、それ以外の痛みや不調も常に抱えていた。

だから、いつも治療家によるケアは必要だったし、自分の体のことをよく知ってくれるサポーターも欠かせない。

 

だから、田中にとって治療家やトレーナーは、競輪選手の次に身近で、その働きをよく知る職業だったのだ。

 

 

早速、トレーナーになるための専門学校への入学を決める。

 

 

「これからはトレーナーとして生きて行こう」

 

 

親戚からの反対が大きかった分、結果で見返すほかないと田中は考えていた。ダラダラと学生生活を過ごして適当に卒業する、という気は全くなく、入学と同時にトレーナーのアルバイトも始めて、実務経験を積んだ。

 

 

ここでまた適当なことをやったら、今度は親戚から「言わんこっちゃない」って言われるに決まっていますし、僕の目を覚まさせてくれた彼女をまた泣かせることになってしまう。死ぬ気で頑張らな!と思いましたね。

 

 

治療家としての技術も必要

 

2年間の学びを経て、トレーナーの資格試験を学校トップの成績で合格した。

 

熱心に勉強し、好成績を残す田中の元には当然、トレーナーとしての就職の話がいくつも来た。

 

中には大学でトレーナー職に就かないかという話もあり、ほんの少し前、競輪の道を絶たれて将来を見失っていた田中の目には、勿体ないと思うほど魅力的に映った。

 

しかし、少し冷静になって考えると、それらの話に飛びついてしまうと後々思い残すことも出てくるのではないかということはわかってくる。

 

 

トップで合格したことが自信にもなったのでしょうね。もっとトレーニングのこと、体のことを学んで、もっと幅広く活躍できる人になりたいと思ったんですよ。

その時はまだはっきりとは思っていなかったけど、今考えると、プロのスポーツ選手のパフォーマンス向上からケガのケアまでできる人になることを、常にどこかで選んで決めていたのかもしれません。

 

 

まだ自分には、知識が足りない。

まだ自分には、技術も足りない。

 

そう考え、田中は就職の道を選ばず、柔道整復師の専門学校へ進学することを決めた。

 

 

柔道整復師とは、骨折やねん挫、打撲などのケガに対して、整形外科的な手法でなく、固定や整復などの方法で施術を行う。

国家資格試験に合格すれば整骨院や接骨院を開業したり、それらに勤務したりすることができるようになり、人気のある職業の一つだ。

 

柔道整復の専門学校に通う学生の多くは、整骨院や接骨院で日中にアルバイトをし、夜間に通学するというパターンが多い。当然、患者さんの体を施術することは許されないが、現場で働くことで仕事内容を覚え、卒業後にすぐに実務につくことができるからである。

 

 

だから田中にも、接骨院で働くという選択肢はもちろんあった。

でも、田中がやりたいのはスポーツ選手のサポートだ。トレーナーという肩書も持っているので、その知識や技術、現場の感覚を鈍らせるわけにもいかない。

 

田中は、柔道整復師になる学校に通いながら、パーソナルトレーナーのアルバイトを続けた。

 

 

その頃から今に至るまで、プロのスポーツ選手のクライアントが途切れたことが無いですね。それは僕の持ち味、誇れることの一つです。最初のプロ選手は競輪選手でした。ずっと競輪場でもアルバイトをしていたので、伝手があって担当させてもらえることになりました。

その後は競輪選手に限らず、ウィンタースポーツやスケートボードなど、様々な競技の選手と縁を持たせてもらっています。

 

 

学びは勉学だけにあらず

 

専門学校に通学しながらのアルバイト。そして卒業し、柔道整復師の資格を取得してからの就職先。

 

多くはフィットネスクラブやトレーニングジム、スポーツクラブだったが、パチンコ店で働いたこともあった。競輪場での裏方の仕事も長く続けた。

 

トレーナーとして、柔道整復師として、技術や知識を磨き続けることだけを目的とするなら、スポーツジムなど体を動かす人をサポートできる仕事だけをすればよかっただろう。

または、短時間で効率よくお金を稼ぐことを目的とするなら、職種を選ばずに時給や月給の高い仕事に狙いを定めれば済むことだ。

 

しかし田中は、働くということは単に技術を磨くこと、またはお金を稼ぐことだけではないと感じていた。

 

 

ある大手のスポーツジムは、熱心に勉強して上司を質問攻めにする田中を疎ましく思う同期からあることないことを噂され、結果的にパワハラが始まって辞めることになった。

 

ちょっとした気の緩みを指摘され、短期間でクビになったジムもあった。

 

パチンコ店では、勤務初日に出くわした「偉いさん」の顔がわからず、挨拶をしなかったという理由で激しく叱責され、バカバカしくなって数日で辞めた。

 

また、国際的に最も信頼性の高いパーソナルトレーナー資格とされるNSCAの免許を持つ先輩と巡り合い、一流の仕事を見せてもらえる機会も長年与えられた。

 

 

競輪選手という大きな目標に挫折した先で飛び込んだトレーナーという世界と、その中で生きて行くために就いた様々な職業や、縁あって働いたあちこちの職場で、田中は、“仕事とは何か”“働くとは何か”ということを少しずつ学んでいった。

 

 

いろんな世界を見ましたね。競輪場の裏で働いていた時は、「とんでもない奴だな」と思わざるを得ないような人ともたくさん出会いました。正直、「自分は決してこうならないようにしよう」と思っていましたね(笑)。まぁその分、面白い思いもたくさんしましたけど。

 

でも、だからと言って大手の、有名な企業に就職することができたらそれで万々歳かと言うと、決してそういうわけではないということも身に染みてよくわかりました。いくら一生懸命仕事に打ち込んでも、人間関係がこじれて潰されてしまうこともある。

 

一言で言うと、「いい人と悪い人がいる」。

これが、僕があちこちの職場を渡り歩いて学んだことです。ここには決して書けないような「悪いこと」をする人に手招きされたことも、世界レベルのトレーナーと巡り合ってその仕事ぶりを見せてもらえたのも、すべて今の自分の仕事に繋がっている。経験に勝る宝はありませんね。お陰で、どんなことがあっても慌てず冷静に、自分のできることを見極めて対処できる人間になれたと思っています。

 

ただ一つ、どうしてもできないこともハッキリしました。組織で働くことです(笑)。これはもう無理。自分で自分の仕事をコントロールしていくしかないなということ、これだけは覚悟を決めて、変えずにやっていくつもりです。

 

 

様々な職場・職業を経験した。

多くの人から刺激を受け、足を引っ張られ、騙され、助けられた。

 

いい人と悪い人がいると学んだ。

でもこの仕事が好きだと確信した。

 

そして、組織には属さず自分でやっていこうと決めた。

 

 

2005年。田中は独立し、院長として自分の院を構えた。

「ポキポキ堂®」の誕生である。

 

 

プロアスリートのトレーナーとしての顔

 

前述のとおり、トレーナーとして歩み出してから今に至るまで、田中の元には常にプロのアスリートがいた。

 

プロをサポートすることを、20年近く途切れず続けているのは田中の治療家・トレーナーとしての資産とも言える。

 

元々、競輪選手であった父を持つ田中である。プロになることの大変さ、プロでい続けることの過酷さは、家族としてすぐ横で見ていたのでよく知っている。

 

そしてまた、田中自身も競輪選手を目指した経験がある。

プロ選手に対して物怖じしない。そして競技者としての感覚、価値観はどういうものかを知っているため、心身に関する的確なアドバイスをすることができるのが、田中の強みだ。

 

 

さらには、著名な一流アスリートのアシスタントとして働く機会や、一流選手のトレーナーに師事する機会にも恵まれた。

 

1人は、神戸製鋼ラグビー部の、世界に誇るトライ王であった大畑大介選手。アシスタントとしてそばにいる間、そのストイックさを目の当たりにした。

日本ラグビー界を背負う人材が、決して奢ることなく、ひたすら努力し、プレーのことだけを考えて日々を過ごす姿には、胸を打たれた。

 

「プロというものはこういうものなのか」

 

自身の認識をさらに深める経験となった。

 

 

また、卓球の福原愛選手、テニスの伊達公子選手をサポートした経験があり、青山学院大学駅伝チームのフィジカル強化指導も担当する中野ジェームズ修一氏に出会ったことも、田中のトレーナーとしての経験値を上げる大きな出来事だった。

 

中野氏は、日本では数少ない「フィジカルとメンタルの両面を指導できるトレーナー」として著名な人物だ。

 

中野氏に出会った頃、田中は担当するアスリートに結果を出すことができず、悩ましい日々を送っていた。

 

アスリートをサポートするトレーナーなんですから、アスリートに結果を出させてあげなければ意味がありません。でもどうしたらいいかわからない。トレーナーとしての伸び悩みの時期だったのだと思いますが、当時の僕はすごく悩んでいた。

そこで中野先生のトレーニングを目にする機会に恵まれたんです。フィジカル、メンタル両面のサポートをするトレーナーとして著名なだけあって、「これがトレーニングの『肝』ってやつか!」とハッとさせられる理論でした。自分に足りないものもハッキリしました。

 

その後、徐々にですが僕の担当のアスリートも変えてあげることができました。僕自身がトレーナーとして次のステップに踏み出した出来事だったと思っています。

 

 

途切れることなくプロをサポートし続けた経験、一流のトレーナーとの出会い。

 

田中はこの世界に入ってから確実に、「プロのアスリートを育てる、プロのトレーナー」として頭角を表し、ポキポキ堂®を、全国からそのサポートを求めてアスリートが集まる場所に育て上げた。

 

 

地元の治療家としての顔

 

ただ、田中の仕事はプロのアスリートをサポートすることだけではない。

 

生まれ育った滋賀の大津市に自分の院を構えるということは、スポーツとは縁のない人々のサポートも必須となるということである。

 

当然、日常生活の中で起きてしまったケガや不調を治すことも求められる。

プロレベルではないが、趣味としてスポーツを楽しむのに充分な体づくりをアドバイスすることも必要だ。

 

 

当初からそのつもりではいたのだが、なにせ生まれ育った環境が環境だ。

スポーツとなれば、アマチュアや趣味レベルよりプロレベルの理論の方が詳しいし、指導にも慣れている。

 

「ちょっと、田中先生のトレーニングはしんどすぎるんですよ」

 

クライアントから苦笑交じりにそういわれたとき、アッと気づいた。

 

「言われてみれば自分は、一般の人のトレーニングレベルを知らないかもしれない・・」

 

この地で院を構えるからには、アスリートのサポートばかりに情熱を注ぐわけにはいかない。痛む関節を治してほしい人、筋力アップをしたい人、家事や趣味を元気にこなす体力が欲しい人。

一般の患者さんの目標や目的は、アスリート以上にてんでばらばらで、お体の状態も人それぞれ千差万別だ。

 

 

「もう少し、一般向けのトレーニングも学ばないといけないな。治療技術ももっと磨かないと」

 

そう思ったら行動は早い。治療家の集まる勉強会に参加し、マーケティングの理論と、治療技術を学び始めた。

 

 

治療家ってセミナーとか勉強会とか、よく参加するんですよ。僕はそれまであまり興味がなかったので行っていなかったのですが、ある勉強会のグループコンサルティングが無料で受けられると聞いて、ふと興味が湧いて参加してみました。

そしたら、すごいんです。すごく熱意のある治療家が集まっている。

 

ホームページの作り方とか、治療の説明の仕方とか、言い方は悪いですが表面的な勉強をするのかな、なんて思っていたのがいい方に裏切られました。自分と向き合うワークを通して自分の仕事観を再確認し、「何のための治療するのか」「どのような治療院にしたいのか」を明確にする。

その作業を通して、僕は自分自身が変わったなと感じています。それまでボンヤリしていた治療家・トレーナーとしての使命、自分の院のあるべき姿を改めて見つめ直すことができました。

 

 

治療家・トレーナーとしての大目標

 

その勉強会を通して田中が得た答えは、

 

「患者さんを元気にし、健康な状態へと導く。その過程を文化として根付かせたい」

 

 

アスリート専門のトレーナーとなり、一般の人のケアはしない。逆に、一般の人の不調や痛みと向き合うことだけに専念するわけでもない。田中からすれば、プロのアスリートも地元のおばあちゃんも、同じ「クライアント」だ。

 

そのクライアントに対して、どれだけの熱意と愛情を注げるか。そのクライアントが、どうなりたいと願っていて、その思いに対して田中がどれだけのことをしてあげられるのか。

 

そこを突き詰めていくのが自身の仕事。クライアントの中に垣根はなく、ただただ、目標や願いを叶える手助けをする、困ったことを解決することを目指す。

田中が治療家として、トレーナーとして携わるべき仕事はこれなのだ。

 

 

アスリートだけでなく、本当にいろんな人が来ますよ。例えばお子さん。キッズアスリートとして、将来プロになることを目指しているお子さんとその親御さんが、よりパフォーマンスを改善させるためにいらっしゃることもあります。そのようなクライアントさんには、ケガをしない体の動かし方や、より大きく体を動かす方法などを指導します。実際、全くケガをしなくなりますし、親御さんからも「成績が良くなりました」とご報告いただくことが多いです。

 

そしてお子さんなら、アスリートとしての結果を出すだけでなく、日常生活も変えられるんです。例えば「授業参観日に様子を見に行ったら、我が子は寝てばっかりでガッカリした」というお母さんがいました。僕が相談に乗ってメンタル・フィジカルのケアをしたことで、居眠りが減るどころか、授業中に積極的に発言するようにもなってきたんです。

 

気合注入したとかそういうことじゃなくて(笑)、元気で健康に過ごすためにやるべきことはいたってシンプルで、それを必要としているのは決してアスリートだけではない、ということなんですよ。

 

 

ポキポキ堂の院長、田中が掲げる目標は、

「世界基準のアスリートを育て、世界を驚かす日本人を育てたい!」。

 

そしてまた、

「家の大黒柱でもあるお母ちゃんを助けたい」というものもある。

 

さらには、

「手術が必須と言われたケガや不調を抱える人の支えになりたい」。

 

 

手広いと言えば手広い。意地悪な言い方をすれば、一貫性がないようにも見えるかもしれない。

 

しかし、決して田中は「あれもこれも」という気持ちでこれらの目標を同時に掲げているわけではない。

 

プロのアスリートをサポートし、その選手が田中の思った通りに成長するときは、治療家としてギックリ腰や坐骨神経痛、肩こりに悩む患者さんにも必ず満足のいく施術を提供することができている。

 

キッズアスリートとして過酷な練習をこなす子供たちのパフォーマンスをアップさせることができるときは、授業中にいまいち集中できない子供のメンタルもしっかりサポートできる。

 

 

クライアントが求めるものは一見ばらばらに見える。

しかし、田中に言わせれば、「理論は一つ」なのだ。

 

 

人の体のメカニズムは知り尽くしています。プロのアスリートが体を酷使したことによって負ってしまったケガも、おばあちゃんが長年の生活習慣の集積により負ってしまった坐骨神経痛も、手術で動かせなくなってしまった関節も、体のメカニズムを辿ることによって確実に改善させることができます。

 

プロのアスリートのサポートができる、その経験を多く積んでいるというのが僕の強みではありますが、それだけではありません。内科的な相談に乗ることもできますし、何なら喋り相手にもなります(笑)。

 

 

田中は言う。

 

「僕からのあなたへのお願いは、『困ったら何でも相談して』です」

 

 

相談先を選ぶのに悩むのは時間の無駄

 

どんな生活をしていても、どんな職業に就いていても、いつどんなケガを負い、いつどんな不調に見舞われるのかは誰にもわからない。

 

また、メンタル面での問題を抱える人も多い現代、自分だけがそうはならないとは誰も言いきれないだろう。

 

何がどう転ぶかわからない長い人生において、突然、または徐々に起こるトラブルの都度、適した相談相手を探すのは至難の業だ。

自力で見つけられたと思った相談相手が、その次のトラブル、または不調のときには「専門外です」と言ってくるかもしれない。

 

情報が溢れている現代だからこそ起きる弊害だ。

 

こんなことは専門外なのではないか。

ここは自分が行くようなところではないのではないか。

 

体や心のことで悩んでいるうえに、相談先の選択にまで悩んでしまっては、解決が遠くなっていくばかりだ。

 

 

こんなこと、誰に相談したらいいのだろう。

 

そう感じたときは、およそ治療家には見えないモジャモジャ頭の田中のところを訪ねてほしい。

 

「『困ったときはポキポキ堂のポキやん』って、一人でも多くの人が覚えてくれたらと願っています」

 

 

余談

 

冒頭から、田中は子供の頃から競輪選手になることだけを思い描いていた、そう紹介してきた。

 

田中自身、つい最近までそう記憶していたのだが、トレーナー・治療家として歩み出して約20年、独立して15年経った今になって、驚くべきことを発見したのだ。

 

 

それは、田中の小学校の卒業文集に書かれた言葉。

 

「大きくなったら接骨院の先生になりたい」

 

 

生涯の夢に破れたと思っていた田中少年は、いつの間にか生涯の夢を叶えていたのだ。

 

『どうしても遠足に行きたい!!』

小学生のころ、私はスポーツ少年団のサッカー部に所属していました。

遠足の2日前のある日、サッカーの練習で捻挫をして、病院に運ばれました。
レントゲン検査を終えて、診察室で『しばらくは固定と松葉杖です。遠足は無理そうだね。』と告げられました。

小学生の私からすれば、楽しみにしていた遠足が行けなくなり、ショックで目の前が真っ暗になる診断でした。遠足に行けなくなった私は家に帰って、行き場のない悔しさと寂しさに涙を流していると、当時プロ競輪選手だった父がかかりつけの整骨院へ連れて行ってくれました。

当時はまだ珍しいトレーナーをしていた整骨院の先生は治療後にこう言いました。
『テーピングで患部をしっかり固定してあげるから、遠足行っていいよ。』

本当に嬉しい言葉でした。
松葉杖はついてたものの、バス遠足だったこともあって、はりきって遠足を楽しんでくることが出来ました。
その後、先生にお土産を持って整骨院へ行ったのはいい思い出です。

思えば、この時に『整骨院の先生になる!!』と決めた瞬間です。
小学校の卒業文集にはしっかりとこの想いが記されてありました。

 

ベテランの院長

 

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Best Performance for You!!!
ポキポキ堂® 
代表 院長
田中 教尋

 

スタッフ紹介

受付 セラピスト
IMG_2086小島 彩

 

受付
森下 千尋

受付 セラピスト
田代 智美

受付 セラピスト
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受付 セラピスト
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